つばさ通信2016年2月号より ~管理者のつぶやき(抜粋)~

申年だからというわけではありませんが…

 

最近自分の中で霊長類学(いわば「サル学」)がブームです。チンパンジーやゴリラ等の類人猿とヒトの遺伝子的違いは2%もないそうです。このように生物学的「隣人」である「お猿さん」の研究は、人間の「人間らしさ」を教えてくれるようで、とても興味深いです。

 

長年、ゴリラや屋久島のニホンザルを研究された京都大学の山極寿一先生によると(『「サル化」する人間社会』集英社インターナショナル,2014)、ヒトとその他類人猿を決定的に区別する行動とは、「言語の使用」や「火の使用」ではなく、「共同保育」と「共食」であるといいます。

 

約700万年前、アフリカ大陸の熱帯雨林で生活していた人類の祖先は、気候変動等を理由に、他の類人猿と森のなかで生活することができなくなり、疎開林や草原へと進出せざるを得なくなりました。熱帯雨林のなかでは手を伸ばせば容易に食物が手に入れられますが、疎開林や草原のような過酷な環境では食物がまばらに存在しており、食物を集めて持ち帰ることをしなければ群れを維持できなくなりました。そこで人類はまず「直立二足歩行」という特徴を持つようになったといいます。

 

人類はこうして、直立二足歩行によって空いた手を使い、食料を持ち帰って集団で共に食べるようになりました。一方で、直立二足歩行により骨盤が小さく産道が狭くなり、子どもが生理的に未熟な状態で産まれてくるようになりました。また、直立二足歩行によって逃げ足が遅くなり、草原の肉食動物に襲われやすくなりました。そこで人類は、子どもを一人でも多く残せるように、授乳期間を短縮させ(チンパンジーは5年、ゴリラは3年、ヒトは1年)、多産の道を選択するようになりました。結果として、人類は「手のかかる」子どもをたくさん産むことで、環境に適応していったのです。当然、お母さんは一人でそれだけたくさんの未熟な子どもを育てることができないので、親以外の大人達が多くの子どもたちを一緒に育てるようになりました。このようにして、「共同保育」という人類を特徴づける行動が生まれたのでした。

 

手のかかる子どもをたくさん抱える人類のお母さんは、一人の子どもにつきっきりになることができません。そうすると、子どもは声を上げてわんわんと泣きますが、お母さんは離れている子どもを安心させるために、やさしく声を掛けます。その声掛けが、集団で保育する場のなかで音楽的なメロディーを伴い、仲間内で共通する「子守唄」に発展し、さらにそこから「言語」が生まれたのではないかと考えられています。いわば、初期人類は、進化の過程で徐々に社会性を発展させ言語を獲得したのではなく、子育ての必要性から共同保育を発展させ、結果として社会性や言語を獲得したと考えられているのです。

 

このような人類の進化の過程を振り返ると、現在の社会状況がいかに人間にとって無理があるか、分かります。そもそも、人類は母親が一人で子どもを抱えながら育てるように進化していないのです。しかし現代社会は、まさに「子育て」が「孤育て」と言われるように、母子が孤立化している状況になっています。本来、人類は子ども達を「手のかかる」状態で産まれるように進化し、子育ての苦労を共有する社会を築いてきたはずです。そのような社会のなかで大人同士が共同で子育てをするからこそ、子ども達の社会性も発達し、大人もまた他者との協力する能力を身につけたのではないでしょうか?「共同保育」、言い換えれば「共に育ちあう」社会をどうやって作っていくのか?日本社会の大きな課題だと思います。

(文責:向井崇)

つばさ通信1月号より ~管理者のつぶやき(抜粋)~

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 本当にあっという間にカリタス翼も三年が経ちました。昨年も、皆さんのおかげで大きな事故もなく、無事に運営することができました。ありがとうございました。

 改めて昨年を振り返ると、カリタス翼にとって、未来に繋がるような、ささやかだけど大きな変化がありました。

 

 一つは、秋に行ったシンポジウムの開催でした。「放課後等デイサービスの質の向上を目指して、今何ができるか?」という(わりに)堅苦しいタイトルでしたが、思いの外多くの方にご参加いただきました。翼職員も運営の傍ら、グループディスカッションに参加させていただきましたが、職員にとって様々な方と現場の苦労を交えた忌憚ない意見交換をすることができ、運営側としても学ぶことがたくさんありました。

 このシンポジウムの開催と軌を一にするように、翼職員の意識に変化が生じてきたように思います。つまり、「もっと地域に出ていき、いろいろな人と繋がりたい」という思いが翼職員のなかに自発的に生じてきたように感じます。それは、翼職員がシンポジウムで他事業所の方々とのディスカッションでカリタス翼の意義や独自性を改めて意識したことも大きかったと思いますが、日々の実践を通して、もっと子どもたちのことを理解したいという熱意から、必然的に導き出されてきたように思いました。

 

 一つの試みとして、例えばこれまでは児童発達支援管理責任者(つまり向井)が単独で保護者面談をするケースが多かったのですが、今年からは現場の職員も同席するようにし、より子どもたちに近い目線からお話できるようにしました。今まではデイサービスの準備に人手をかけていたのですが、あえてそこを削ってでも、翼職員が直接保護者の皆さんとお話できる機会を作ることにしました。現場職員がお子さんに関するエピソードを保護者の皆さんからお聞きすることができ、子どもたちに対する理解がより深まることで、子どもたちの理解がより現場に活かしやすくなり、結果として子どもたちがさらに落ち着いて過ごせるようになりました。現場職員と保護者の皆さんが繋がった結果でした。

 さらに、他事業所や学校、教育センターとの連携会議や定例会議にも、現場職員を連れ出して、どんどん参加させるようにしました。これも、子どもたちの理解を他機関と共有することができたため、支援の質が上がることに繋がっていくと思います。

 

 教材を作ったり、プログラムの準備をその日その日の利用者に合わせて完璧に作り上げることももちろん大事ですが、それだけだと、どうしても独りよがりの内向きな支援になってしまう危険性があります。「カリタスのやっていることはなんだかすごそうだけど、よくわからないよね…」という支援では、せっかく翼で積み上げていることを地域で活かすことができなくなってしまいます。個人的に、この一年で得た大きな気付きは、現場が主体となる連携であり、それは「人と人との繋がり」なんだと思いました。

 

 というわけで、カリタス翼にとってまた新しい一年を迎えますが、今年の翼のテーマは「地域に出る」ということにしたいと思います。将来、子どもたちが地域で共に生きることができるように、まずは私達から地域に出ていき、様々な方と連携をとりながら子どもたちと関わっていきたいと思います。

 2016年のカリタス翼もどうぞよろしくおねがいします。

 

(文責:向井崇)

 

つばさ通信12月号より ~管理者のつぶやき(抜粋)~

上手く使わないともったいないな、というお話し。

 だんだんと年の瀬になってくると、「新しい年に向けて」とか「心機一転」なんて気分になり、ふと思い立ってモノを片付けたり、整理したりします。普段からやっておけばいいのに突然取り掛かるものだから、ビニールに包まれたまま出てくる1年前のシャツとかが発掘されると、あまりのもったいなさに我ながら呆れてしまうというか、うんざりした気分になります。

 人間が関心を向けられるエネルギーには限りがあるようで、モノやコトがその人の認知的なキャパシティを超えてしまうと、そのモノやコトへの意識そのものがなくなってしまうことがあります。やらなければいけないコトが多すぎたり、取り扱わなければいけないモノが多すぎると、最終的に手がつけられず、残念な結果になってしまうことがよくあり、本当にもったいないなと思います。

 先日、文京区の相談支援事業所連絡会に参加させていただいた時のこと。特別支援学校の先生がゲストとして参加され、「学校生活支援ファイル」と文京区独自の連携ファイルである「ふみの輪」を相互的に活用させたい、というお話がありました。
 「学校生活支援ファイル」は、文科省がすすめる「個別の教育支援計画」の東京都版であり、教育現場での指導の一貫性を保ち、学年が上がっても先生同士でスムーズに引き継げるように開発されたファイルです。文京区の「ふみの輪」も、幼児期から成人期まで切れ目のない一貫性のある支援が受けられるよう、情報を共有化できるよう作られたファイルで、今年度から新たに始まったこころみです。どちらのファイルも「一貫性」「情報の共有」を目的にした支援ツールであり、以前から話しとして聞いてはいましたが、今までまったく活用できていませんでした。まさに「タンスの中で眠っている服」みたいに、最初は「いいな」と思っても、日々の活動のなかで埋もれていった典型例だったのです。まったく「もったいない」話しでした。

 福祉でも教育でも、支援の質の向上を目指して、年々様々な試みがなされています。しかし、やらなければいけないコトやモノが多い状況では、部分的には向上しても、全体としての質の向上に繋がらないケースがたくさんあるように思います。この「学校生活支援ファイル」と「ふみの輪」も、このまま埋もれたままにしておくのは本当にもったいないですし、上手く活かす「しくみ」を作る必要があると感じました。

 おそらくここに、放課後等デイサービスが活かせる場面なのかなと思います。学校生活支援ファイルもふみの輪も、本来の目的は「繋げる」ことにあります。そうであるとすると、「児童期から成人期を繋ぐ」放課後等デイサービスが、両ファイルを活かして、支援の一貫性を繋げていく役割を担っていかなければいけないと思います。これからの放課後等デイサービスには、お子さんの通っている学校との「横の連携」に加えて、児童期から青年期を繋ぐ「縦の連携」もまた求められています。「学校生活支援ファイル」と「ふみの輪」を活用しながら、縦横連携の仕方を模索していきたいと思います。
(文責:向井崇)