申年だからというわけではありませんが…
最近自分の中で霊長類学(いわば「サル学」)がブームです。チンパンジーやゴリラ等の類人猿とヒトの遺伝子的違いは2%もないそうです。このように生物学的「隣人」である「お猿さん」の研究は、人間の「人間らしさ」を教えてくれるようで、とても興味深いです。
長年、ゴリラや屋久島のニホンザルを研究された京都大学の山極寿一先生によると(『「サル化」する人間社会』集英社インターナショナル,2014)、ヒトとその他類人猿を決定的に区別する行動とは、「言語の使用」や「火の使用」ではなく、「共同保育」と「共食」であるといいます。
約700万年前、アフリカ大陸の熱帯雨林で生活していた人類の祖先は、気候変動等を理由に、他の類人猿と森のなかで生活することができなくなり、疎開林や草原へと進出せざるを得なくなりました。熱帯雨林のなかでは手を伸ばせば容易に食物が手に入れられますが、疎開林や草原のような過酷な環境では食物がまばらに存在しており、食物を集めて持ち帰ることをしなければ群れを維持できなくなりました。そこで人類はまず「直立二足歩行」という特徴を持つようになったといいます。
人類はこうして、直立二足歩行によって空いた手を使い、食料を持ち帰って集団で共に食べるようになりました。一方で、直立二足歩行により骨盤が小さく産道が狭くなり、子どもが生理的に未熟な状態で産まれてくるようになりました。また、直立二足歩行によって逃げ足が遅くなり、草原の肉食動物に襲われやすくなりました。そこで人類は、子どもを一人でも多く残せるように、授乳期間を短縮させ(チンパンジーは5年、ゴリラは3年、ヒトは1年)、多産の道を選択するようになりました。結果として、人類は「手のかかる」子どもをたくさん産むことで、環境に適応していったのです。当然、お母さんは一人でそれだけたくさんの未熟な子どもを育てることができないので、親以外の大人達が多くの子どもたちを一緒に育てるようになりました。このようにして、「共同保育」という人類を特徴づける行動が生まれたのでした。
手のかかる子どもをたくさん抱える人類のお母さんは、一人の子どもにつきっきりになることができません。そうすると、子どもは声を上げてわんわんと泣きますが、お母さんは離れている子どもを安心させるために、やさしく声を掛けます。その声掛けが、集団で保育する場のなかで音楽的なメロディーを伴い、仲間内で共通する「子守唄」に発展し、さらにそこから「言語」が生まれたのではないかと考えられています。いわば、初期人類は、進化の過程で徐々に社会性を発展させ言語を獲得したのではなく、子育ての必要性から共同保育を発展させ、結果として社会性や言語を獲得したと考えられているのです。
このような人類の進化の過程を振り返ると、現在の社会状況がいかに人間にとって無理があるか、分かります。そもそも、人類は母親が一人で子どもを抱えながら育てるように進化していないのです。しかし現代社会は、まさに「子育て」が「孤育て」と言われるように、母子が孤立化している状況になっています。本来、人類は子ども達を「手のかかる」状態で産まれるように進化し、子育ての苦労を共有する社会を築いてきたはずです。そのような社会のなかで大人同士が共同で子育てをするからこそ、子ども達の社会性も発達し、大人もまた他者との協力する能力を身につけたのではないでしょうか?「共同保育」、言い換えれば「共に育ちあう」社会をどうやって作っていくのか?日本社会の大きな課題だと思います。
(文責:向井崇)